カナディアン・ロッキー
2007年07月
山 雀 グ ル ー プ
カナディアン・ロッキーの山旅
7/06 (FRI) |
TOKYO(NRT)15:40⇒NW0020⇒12:40 (MINNEAPOLIS)17:10⇒NW1029⇒19:03 CALGARY AIRPORT 20:30⇒21:30 CALGARY |
(走行約30km) COAST PLAZA HOTEL |
7/07 (SAT) |
CALGARY09:30⇒11:30BANFF 13:45 ⇒17:10 RAMPART CREEK CG |
(走行約300km) テント泊 |
7/08 (SUN) |
RAMPART CREEK 08:00⇒08:35COLUMBIA ICEFIELD09:15⇒09:20(WILCOX PASS)12:45⇒13:50JASPER15:40⇒18:00Mt.ROBSON VISIT- |
(走行約210km) テント泊 |
7/09 (MON) |
TRAILHEAD08:25⇒10:25KINNEY LAKE |
テント泊 |
7/10 (TUE) |
KINNEY LAKE07:25⇒12:10BERG LAKE12:55⇒13:25 1840m13:40⇒14:45EMPEROR FALLS⇒WHITEHORM⇒18:00 KINNEY LAKE C.G |
テント泊 |
7/11 (WED) |
KINNEY LAKE09:00⇒10:50 TRAILHEAD13:20 ⇒14:10 JASPER |
(走行約100km) ATHABASCA HOTEL |
7/12 (THUR) |
JASPER08:00⇒11:55BOW LAKE TRAIL15:00 ⇒16:00LAKE LOUISE18:00⇒18:30 PROTECTION MOUNTAIN C.G
|
(走行260km) テント泊 |
7/13 (FRI) |
PROTECTI Mt09:40⇒09:45TAKAKKAW FALLS ⇒YOHO VALLEY TRAIL⇒TAKAKKAW FALLS 18:10 ⇒20:00CASTLE MOUNTAIN CG |
(走行140km) テント泊 |
7/14 (SAT) |
CASTLE MOUNTAIN CG 09:20⇒10:20 LAKE LOUISE 10:50⇒11:55 BANFF 13:40⇒15:00 CALGARY |
(走行160km) ROYAL MOTER INN |
7/15 (SUN) |
MOTER INN 06:00⇒06:30 CALGARY AIRPORT 10:10⇒NW1544 10:10⇒13:46(MINNEAPOLIS) 15:05⇒NW0019 |
(走行約30km) 機中泊 |
7/16 (MON) |
日付変更線⇒17:05TOKYO(NRT) |
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WILCOX PASS 歩行距離4km 時間2.55h 標高差330m(2040m-2370m)
7/08 TRAILHEAD09:35--
Mt.ROBSON 歩行距離46km 時間14.25h
標高差987m(853m-1840m)
7/09
TRAILHEAD
08:55--09:20WHITE.F--10:25 EMPEROR.F--10:30I--10:50 EMPEROR T.G--11:35
MARMOT.T.G--12:10BARG.L12:55--13:25 1840m.TOBOGGAN.F展望台13:40--14:00
BARG.L14:10--
16:20I16:55WHITEHOM T.G 18:00KINNEY. L 7/1109:00--
BOW LAKE 歩行距離--km
時間2.55h 標高差200m(1600m-1800m)
7/12 TRAILHEAD12:15--13:00 1800m 14:20--14:50 TRAILHEAD
YOHO VALLEY歩行距離18.5km 時間8.00h 標高差700m(1500m-2200m)
7/13TRAILHEAD10:10--11:20LAUGHING F11:25--12:10I--13:10REST13:40--13:45
A.C.C.HUT14:00--14:00S--15:35 2200m--17:00I--18:10 TRAILHEAD
7/06(金)曇り
浦賀駅10:34=13:15成田空港TOKYO(NRT)15:40⇒NW0020⇒12:40(MINNEAPOL-
IS)17:10⇒NW1029⇒19:03CALGARY AIRPORT 20:30⇒21:30 CALGARY
仕事明けで勤務先から戻り、軽く飲んで朝飯を食べた。普段ならこの後に朝寝をするのだが寝る時間が無い。登山道具の詰まった2kgの重いザックを背負いバスで駅に向かった。
梅雨の最中であったが幸い雨は降ってなかった。インターネットで調べた時間通りに成田空港駅に着き、約束の時間の5分前に仲間と合流した。
ノースウエスト航空(以下NWA)も他の航空会社同様に経費節減の省力化が進めてられておりe-チケットによるチェックインシステムが導入されていた。処が係員も乗客も慣れてなく、手続きに時間が掛かった。また、好きな席が選べるのは建前であって、席は既に決められていて、以前のように早く行って好きな所を選べなくなってしまっていた。しかし、この新システムにより助けられた面もあった。Kさんが事もあろうにチケットを忘れてきた。今回カナダ山旅の参加者の中に、個人旅行の経験が無い人が半数いた。事前の打ち合わせ会で、添乗員にがっちりとガードされた団体旅行と個人旅行の違いを、くどい程説明し貴重品の個人管理の徹底を認識してもらった。航空券も貴重品の範疇に入る。幸いの事に今回はe-チケットにより救われた。仲間のチケットで無事にチェックインが出来た。ぺらぺらなスーパーのレシートのようなボーディングパスを受け取り、荷物を預けて出国手続きをした。
出発まで2時間もある。缶ビールと酎ハイを飲み、前夜の短い睡眠時間を補おうと昼寝を試みたが中々眠れず、中継地のMINNEAPOLISまで10時間強のフライトである。飛行機の中で眠る事にした。
30分前に搭乗が開始され15時40分、定刻通りに出発した。機の後方の窓側3席2列に全員が納まった。NWAの機内サービスはインターネットの評判通り良くなかった。機材は古くパーソナルのスクリーンは無いので映画など見難く、スチュワーデスは可愛くない。何よりも不満なのが酒が有料である事である。然も缶ビールが500円と割高である事。アルコール依存症ぎみの小生には堪える。熟睡する為には必須のアイテムなのだ。
12時10分、予定より30分早く中継地のMINNEAPOLIS空港に着いた。往路は一旦米国に入国の形が採られた。これもテロ対策か。トランジットに5時間もあるので時間の心配は無いが面倒である。入国審査で指紋と瞳孔の登録とパスポートをチェックされ無事に全員入国出来た。その後預けた重い荷物を受け取り空港内の移動である。そして再び荷物のチェックと手荷物検査を済ませて晴れて解放されたのであった。
流石に米国の空港である。構内は大きく広い土地をふんだんに使っている。動く歩道の他にモノレールの移動システムもある。案内のモニターでチェックして出発ゲートまで移動した。食堂やドリンクバーやお土産店と色々な店が並んでいる。免税店で酒を買いたいのだが機内に持ち込めず諦めた。出発ゲートで待ち合わせ場所と時間を決めて自由行動とした。時計は現地時間で14時を差していた。日本では何時頃であろうか?
寝不足と疲れで計算が出来ない。機内では夕食と夜食とそれに朝食が出されて完食した。しかし量が少なく質も悪く味も良くなかった。何か毎食物足りなく空腹感があった。フードコートを覗いて見ると焼きソバやチャーハンと惣菜やお寿司が並べられていた。どれも美味しそうであった。焼きソバと焼肉・酢豚を衝動買いしてしまった。
期待していた味では無かった。お腹が変な感じで膨れて後悔の念に駆られた。次の搭乗までに1時間近くあった。昼寝で時間を潰した。
乗り換えた飛行機は中型機であった。6人の席はランダムであった。小生、筑田、加藤さんが3人並び、妹尾さんは1人で、山下、小山さんがペアーで座った。2人に「新婚旅行気分ですね」と冷やかすと、2人ともぶすっとして一言も口を交わさず、カルガリー空港で離婚と相成った。我々の席はビジネスクラスの直ぐ後ろで、前後の椅子の間隔が広く快適であったが、その代わりに上級クラスのサービスの内容が具に目に入り、その待遇の差に落ち込む事になった。ドリンクサービスの時に有料のビールを飲んでしまった。
入国審査はいたって簡単で、滞在日数を聞かれた程度であった。また税関の荷物の検査は無く、気がついたら到着ロビーであった。CALGARYの町はお祭りの最中で、カウボーイ姿の市民がウエスタンミュージックを奏でて出迎えてくれた。多急ぎ両替を済ませてレンタカーのオフィスに向かった。
空港建物向かいの4〜5階建て駐車場ビルの中にオフィスがあり、ダラー社は一番隅にあった。順番待ちで30分ほど待たされたが、手続きは10分程度で終わった。借りた車は荷物室が意外と小さく2人分のザックは室内に置くしかなかった。もし7名の人数が集まったらとても乗り切れなかった。
車は人と荷物を満載し妹尾さんがハンドルを握り、予約した市内のホテルに向かって国道2号を南下した。途中道路工事の渋滞に遭って21時30分ホテルに到着。荷物も解かずに近くのファストフーズで食事を済ませた。シャワーを使い落ち着いたのはミッドナイトに近かった。40時間に及ぶ長い1日が終わろうとしていた。
キングサイズとはいえ1台のベットに男2人で寝るのに多少の抵抗があった。山下さんが毛布を選び私がベットカバーを取った。背中合わせに寝ようと山下さんが左を下にして、私が寝慣れている右を下に横になった。敏感なスプリングが山下さんの微弱な動きを伝えてきた。私も出来る限り動きを止めたじっとしていた。やがてアルコールの酔いも手伝い深い眠りに落ちた。夜中にふと目を覚ますと山下さんが私の方を向いて寝ていた。あれほど背中合わせを誓ったのにと---、そう言えば---、頭がはっきりして来た。私も山下さんの方を向いている。トイレに立ってまた横になった。
翌朝、妹尾さんが言った。「齋藤さんは横になったらがあ〜があ〜」、トイレから帰ってきたら直ぐに「があ〜があ〜」。良く眠りましたね!ハイ。スイマセン。
【メニュー】
朝(自宅) ご飯・納豆・生卵・焼肉・漬物・味噌汁
夕(機内) ビーフステーキ・ロールパン・フルーツ・オレンジジュース
夜(機内) サンドウィッチ
朝(機内) オムレツ・ロールパン・コーヒー
昼(空港) 焼ソバ・焼肉・酢豚
夕(ファスト・フーズ) サンドウィッチ フライドポテト・コーラ
【費用】
〔会費〕10000円−20.00
〔雑費〕缶ビル300円 缶チューハイ200円 缶ビール500円 焼ソバ・焼肉8.23SUD
缶ビール5USD Fast Food7.81 〔両替〕現金10000円
7/07(土)曇り〜晴
CALGARY09:30⇒11:30BANFF(買い物)13:45⇒14:05 CASTLE Mt. VIEWPOINT14:35
⇒16:05SNOWBIRD GLACIRE VIEWPOINT16:10⇒17:10 RAMPART CREEK CG
6時に目が覚めた。外は小雨が落ちていた。窓側にあるテーブルで旅のメモの整理をする。寝る前に日本から持参したウイスキーが効いたのか短い睡眠時間で熟睡した感じであった。8:時に朝飯に1Fの食堂に下りた。バイキングである、ソーセージやベーコンと肉類をメインに確りと腹に詰め込んだ。大好きな牛乳は勿論の事、仕上げにコーヒーを2杯ゲット。
9時30分BANFFに向けて出発。貰った地図は小さくて分かりにくく、何度か道を間違えて国道1号を捕まえた。後は西に向かって走れば良い。
運転に余裕が出来ると同乗者もリラックスして周りの景色を楽しむようになった。カナダの車はバスもトラックも日本のよりも幅も長さも1回り大きく、従って道路の1車線の幅も広くて5mはある感じがする。BANFFの約15km手前で国立公園となる。ここにゲートがあり入園料を支払った。割安な1週間パスを購入した。
11時30分BANFFの観光案内所の横に車を着けた。買出しである。市内地図を貰ってスーパーとスポーツ店と、私にとって重要なリカーショップを聞き出して2手に分かれた。町のメインストリートは道路工事中で、15年前の面影を探すのに時を要した。加藤さんと2人でスポーツ店を当たった。大きな店舗であったが最初の店は在庫が無かった。3軒目で6個手に入った。これで手軽なガスコンロ使えるので助かった。
スーパーに行き仲間が食材を買い終わるのを待ち、そして大事な酒を買いに行った。共同でワイン1本と缶ビール半ダース購入した。
13時45分 COLUMBIA ICEFIELDに向かって車を走らせる。20分走った所にCASTLE Mt.VIEWPOINTが現れた。車を止めて昼食タイムとした。ハイウエイの東側に森を縫ってBOW川が流れ、その向こうに2862mのCASTLE Mt.がそそり立っている。その峻厳た
る威容はカナデアン・ロッキー300座の中でも名山と言われる。空は蒼く晴れ上がり気温は30℃を超えるが、風が乾燥していて実に気持ちが良い。スーパーで買った巨大なビーフ・サンドを6人で分け合った。パンも牛乳も格別に美味しい。
CASTLE JCTの所で道を誤り側道に入ってしまった。引き返そうとした時に貨物車を牽引した機関車がやって来た。列車が何時まで経っても通り過ぎないので、暇に任せて数えてみた。数えてから50数両---。合計すると100悠に両超えるみたいである。スケール大きさに驚いた。もし最後部の車両にトラブルが発生したら、先頭にいる乗務員は如何するのだろう?2kmの距離を歩いて行くのだろうか?自転車やバイクを積んでいるのか。
ハイウエイの両側に秀麗な山が次々に現れる。デジカメでチップの容量が大きいので、惜しみなくシャッターを切るが撮り切れない。その内に余りにも被写体の多さに感受性が
無くなりカメラを手にしなくなってしまった。それでもSNOWBIRD GLACIRE VIEWP-
OIINTで休憩に入ると、カメラを持って車から飛び出した。11号の分岐まで来ると17時を過ぎてしまった。次のRAMPART CREEK CGにテントを張る事にした。
テントを張り、薪を集めて火を熾した。蚊が集団でやって来た。携帯電気蚊取りは全く役に立たず気休めに首から提げているだけ。防虫剤が有効で顔や首筋や頭と皮膚が露出している部分に振り掛ける。それでも堂々と寄ってきて服の上から又やお尻や背中を刺してくる。それもブスリと刺す。日本の蚊のように俊敏ではない。
この日の献立は分厚いステーキ。日本にいた時より楽しみにしていた食い物だ。
【メニュー】
朝 バイキング ソーセージ・ベー
コン・パン・牛乳・コーヒー
昼 ビーフサンド・牛乳
夕 ビーフステーキ・バターライス・ワイン
【費用】
〔引出〕40.00CD
〔雑費〕サンダル6.35 水1.05
7/08(日)晴
RAMPART CREEK 08:00⇒08:35COLUMBIA ICEFIELD09:15⇒09:20(WILCOX PASS)12:45⇒13:50JASPER15:40⇒18:00Mt.ROBSON VISITER CENTER
6時起床。朝から空は晴れ上がりその分肌寒く感じた。朝食を済ませてテントを畳み車に乗った。昨日、集金人が来なかった。ニュージーランドでの経験ではテントサイトは無人で利用料金を集金箱に投入するシステムであった。念の為に入り口を覗いて見ると集金箱が置いてあった。利用書に名前、利用日、車の登録番号、テントサイトb記載して封筒に料金14.50CDを入れて投函した。6人で薪が使い放題でこの値段は安い。
車で30分走行して08:35にCOLUMBIA ICEFIELDに着いた。ナイヤガラ瀑布とLAKE LOUISEに並んでカナダ屈指の有名な観光地である。日本のツアーは必ずこの場所に寄る。観光客が集まるには早い時間で我々のほかに姿が見えない。広い駐車場で野球が出来そうだ。人気の無い観光地は少し不気味な感じもする。
車で5分ほど戻ってWILCOX PASSの登山口に移動した。駐車場には既に車が数台止まっていた。ICEFIELD観光地よりトレッキングの方が関心高いのか、それともICEFIELDに拘るのは日本人だけなのか分からない。
WILCOX PASS 歩行距離4km 時間2.55h 標高差330m(2040m-2370m)
コースタイム TRAILHEAD09:35--10:55 2370m 11:25—12:30 TRAILHEAD
登山靴に履き替え弁当と水を持って、腰を痛めてしまった加藤さんを車に残して出発した。いきなり急登である。山を登っている感覚が全身を包んだ。空身なので辛くなく寧ろ心地が良い。登山道は整備されていて歩きやすく、道端に咲く可憐な草花が目を和ませる。日本で見られないインデアンペイントブラシ、40~50cmの高さで花弁がツツジのように可憐である。赤や黄色、オレンジやベイジュと色々でカナダに来て一番気に入った花である。
高度が上がり、下から見上げていたCOLUMBIA ICEFIELDが目の高さになった。雪上車で氷河巡りの観光では味合う事の出来ない豪快な展望である。2300mまで上がるとツンドラのような趣になり、残雪と随所に雪解けの小川が流れ、時期が早いのか花の姿は僅かで、見渡す限り同じような風景が果てしなく続いた。2370mの小高いピークを詰めて、持参のサンドウィッチで昼食を摂って帰路に就いた。1時間で駐車場に下山した。
国道93号をJASPERに向かって北上した。LAKE LOUISE辺りの標高が1700mであった。COLUMBIA ICEFIELDの駐車場が2000mで、その後も道路は面白いように高度を上げて行く、自転車では辛い道であろう。BANFFとJASPER国立公園の境目がPASSで2300m程である。そして道は下りなってJASPERまで約100km程の走行となる。因みにJASPERの標高は約1600mである。
13時50分、例によって観光協会の前に駐車した。地図と情報を仕入れてスーパーへ行き足りない食材を買い足した。勿論小生はアルコールを補充した。
15時40分、車を発進させた。 Mt.ROBSON VISITER CENTERの目的地まではゆっくり走っても1時間とは掛からない。誰しも余裕と思っていた。処が目的地の5km程手前で車が停止した。前に何十台もの車が止まっていた。10分経過、停止したまま。20経過、相変わらずそのまま。対向車も来ない。前の車の運転手が双眼鏡を持ち出した。暫くして対向車の大型トラックがゆっくりと登って来た。その後ろに何台もの乗用車が続き、そしてまた大型トラックと何十台と走って去って行った。その後暫くして列が前に動き始めた。事故を想定した。片側通行をしていると思った。日本と違って交代のタームが長いのだと思う。恐らく交代時間30分間隔か、長くても短くても結果は同じ筈。いや長いほどロスタイムは少なくて済む。停止して1時間半掛かって問題地点に到達した。予想した通りに交通事故であった。大型トラックが横転し完璧に対向車線を塞いでいた。今にも道路から崖下に転落しそうな格好であった。
18時にMt.ROBSON VISITER CENTERに到着した。19時までオープンである。入山のチェックインに十分な時間である。加藤さんの腰痛が不安であった。本人は明日の状態によっては車に残ると言う。言葉も海外での経験も十分では無い人を2日間も何も無い駐車場に1人残す訳にはいかない。苦渋の決断をした。
CENTERで事情を話して一部テン場の変更を依頼すると、幸い思い通りに変更が出来た。安心して道路の反対側にあるテントサイトに向かった。ここのCGは薪が有料であった。蚊と戦うのには焚き火が有効であると思われる。僅かでも効き目があるなら何でも使いたい。また蚊との戦いが始まる。昨日より標高が1200mも低くその分暖い。蚊の数もより多くより凶暴と思われる。
【メニュー】
朝 ベーコンエッグ・オニオンスープ・ご飯・コーヒー
昼 サンドウィッチ オレンジジュース
夕 ポトフ・野菜炒め
【費用】
〔雑費〕食料2.99 ウイスキー25.00
7/09(月)晴
CAMPGROUND08:05⇒08:15Mt.ROBSON登山口駐車場
この日も起床時間が6時であった。このテン場は設備が良くてお湯が使えた。朝、トイレに行き顔を洗っていて、何気なくシャワー室を覗いて見たら何と無料であった。昨日の晩に気が付けば温水シャワーでさっぱり出来たのに。
TRAILHEAD08:25⇒10:25KINNEY LAKE 歩行距離7km 時間2.ooh標高差113m
Mt.ROBSON (3954m)カナディアン・ロッキーの最高峰である。独立峰で堂々とした山容はロッキーの巨人と称され、氷河を冠する山頂は何時も雲が掛かり、滅多にその全容を現す事が無いと言われる。が、どうも観光客寄せの謳い文句のようで、今回も3日の間バッチリ見る事が出来た。
今回の山旅のメインとしたBERG LAKE TRAILは清流、瀧、湖、氷河、苔むす森林帯と、カナダの自然の魅力が凝縮して人気のルートである。登山口(853m)からBERG LAKE
(1641m)まで21kmで標高差788m、コースタイム8時間である。日本の山に例えてみると、上高地(1500m)から涸沢(2309m)まで15km,標高差809mでコースタイム6時間。上高地から涸沢に登ると考えれば良い。
ただ、今回の山旅を挙行するのに当たって、参加者の年令・体力が懸念された。平均年令は60歳を超えて、また普段余り山を歩いていない人も含まれていた。思案した。結果、万一の事を考えてパーテーを2分出来る装備を準備した。
旅が始まった2日目に加藤さんが腰を痛めてしまった。予想外のアクシデントであった。メンバーの中で一番若く体力があった。頼りして山行のリーダーをお願いしていただけにダメージも大きかった。しかし止む得ない事である。メンバーに諮りパーテーを2分する事にした。加藤さんと私と普段から余り腰の状態の良く無い山下さんがパーテーを組んで、登山口から2時間余りのKINNEY LAKEにベーステントを張る事にした。残りのメンバー3人に予定通りにBERG LAKEに上がってもらう事にした。
駐車場は大きく悠に100台は収容出来そうであった。このルートの人気の高さが伺える。出発点はROBUSON RIVERの橋である。川幅10mに掛かる木造の橋で、上高地の梓川のカッパ橋に似た趣である。が、川の勢いに違いがあった。さして急流でも無いのに、水の流れに有無を言わせぬ強靭さがあった。万一落ちて流されたなら命の保障は無い。加藤さんとトド2頭のパーテーはここから歩いて2時間ほど行程である。さしずめ上高地から徳沢園と言った所の距離である。体を動かす事の苦手なトドには程よい行動時間である。そこまで全員で歩く事になる。
お天気は上々。ROBUSON RIVER沿いの登山道は確りと整備されていて歩きやすい。真っ直ぐ天を突くカラマツ林に赤や黄色やピンクと色々の花が彩りを添える。残念であるが花の名はからきし分からない。時間も早く涼しく快適である。
KINNEY LAKEまでは一般的な観光地で、日本のツアー会社でもメジャーなコースとして知られている。ここまでは自転車も入れる。観光としては時間が早いのであろうか人影を見ない。その分静かで我々だけの大自然が満喫出来た。
10時、目的地の湖に着いた。テントサイトは長さ2km程の瓢箪形した湖の肩の辺りだ。山雀の会旗を出して記念撮影した。
10時25分KINNEY LAKEに到着した。シェルターを中心に14張りの中規模なテントサイトで、前面にKINNEY LAKEを望み、その背後に氷河を頂くWHITEHOMの山々が囲む静かな環境である。BERG LAKEに行くメンバーとここでお別れである。彼らはこれから6時間の歩きが、しかもEMPEROR.Fの辛い登りが待っている。食当の筑田さんが献立や食材や作り方などクドクドと説明をしていた。「昨日も聞いているよ!」と小さく呟いて半分聞き流していた。そして彼らが去って行った。
BERG LAKEに静寂が訪れた。道から少し入った樹林の中の湖畔にテントを張った。缶ビールを湖に放り込み食材を木に吊るした。11時、何もする事が無くなった。マットを膨らませて木陰を見つけて昼寝ときめ込むが、お天道様が勝手に歩き回って暑くて目が覚めてしまう。山下さんが「お腹の物が出て行ってくれない」と何度もトイレに立つが、上手くいかいならしい。「整腸剤が効かないよ」と言う。日が沈むのには未だ10時間もある。
晩飯はカレーライスだ。筑田さんのレシピ通りちゃんと作った。飯も上手く炊いた。山下さんと加藤さんは「料理は出来ないと豪語する」。だけど、人参やジャガイモの皮を剥いたり刻んだり手伝ってくれた。心配なのが2人とも分別無く量を食べるのである。翌朝に残ったご飯とスープと考えていたが、コッヘルは空である。明日の事は考えるのは止めた。
飯を食っていた時であるから20時か21時頃と思う。辺りは未だ十分明るいが、流石に登山者は途絶えていた。が、---おばさんが一人、湖を背にしてシェルターの方に現れた。その後ろに夫らしい影もあった。その現れ方が突然だけに不気味に感じがした。だんだんと近づいて来た。太ったおばさんで青い長袖のシャツを纏って下半身は裸に見えた。異様な風体に唖然としてしまった。そして我々の前に来るとクルリと後向きとなった。我々も眼にしたものは---、シャツの下にビキニを穿いていた。そのビキニから何枚もの肉ヒダが垂れ下がり、その肉ヒダをブルンブルンと振って見せた。思わず握っていた食器を投げたい衝動に駆られた。一方では湖で少年達が元気良く泳いでいた。我々がビールを冷やすほどの水温である。やがて遊びに疲れた少年たちが一人二人と上がって来て、喉が渇いたのか、手に手にコップを持って泳いでいた湖に戻り、その水を汲み上げると何の躊躇も無く美味そうに飲み干した。カナダのKINNEY LAKEの不可解な夜は中々暮れて行かない。
【メニュー】
朝 ベーコンエッグ・パン
昼 カナダ風菓子パン
夕 カレーライス
【費用】
〔雑費〕0
7/10(火)晴
BARG LAKE TRAIL 歩行距離32km
時間10.35h 標高差856m(984m-1840m)
KINNEY L
10:30I--10:50 EMPEROR T.G--11:35 MARMOT.T.G--12:10BARG.L12:55--13:25 1840m.
TOBOGGAN.F展望台13:40--14:00 BARG.L14:10--14:45 MARMOT.T.G14:55 --15:35
EMP EROR.T.G--15:45EMPEROR.F16:20I16:55WHITEHOM T.G18:00KINNEY. L
カナダに来て以来の定時の6時に起床した。BARG.Lまでトレッキングである。お天気は今日も上々である。カメラとお弁当と念のために雨具、ヘッデンなどは持たない。
KINNEY Lから道は一旦山の中に入り、そしてまたROBUSON Rまで下る。この付近になると川は荒々しさが無くなり優しく穏やかな流れとなった。川を渡りまた山の中に入り、絵に出て来るような吊橋を渡るとWHITEHOM テントサイトであった。KINNEY Lから1時間である。周囲がWHITEHOMの山々に囲まれ真ん中にROBUSON Rが流れる素晴らしいテン場だ。ここに連泊して川原でのんびりと時間を過ごすのも悪くは無い。山下さんがトイレに走った。結果---、またもや駄目だった。
ここからEMPEROR FALLまでがヤマ場である。400m強を一気に登る。先ず最初にWHITE FALLが現れた。豊富な水量と落差がある素晴らしい瀧である。その先から九十九折れの急登となった。一部崖崩れ注意の看板があり周囲に崩れた大小の石が転がっていた。看板に偽りは無さそうである。馬に乗ったレインジャーもこの道を通る。馬糞が転がっていた。汗が滲み出てきた。BARG.Lテント組は、昨日の炎天下に重い荷物を背負ってこの坂を登ったのかと思うと気の毒に思った。
FALLS OF THE POOLが現れると勾配が緩くなり景色を楽しむ余裕が出来た。ルート沿いのROBSON Rははるか崖下を流れて姿を隠し、林立するカラマツの切れ間から紺碧の空に、頂に雲をなびかせたMt.ROBSONが姿を現す。足元には日本で見たことの無い橙色のオダマキが色を添えていた。
10時25分 EMPEROR F。不思議な構造の瀧である。ドンと大量の水が岩盤の中に落ち、その後、水はROBUSON R沿いにそそり立つ崖の、樋状になった岩盤の中を数百m流れてから川に落ち込む。日本では例を見ない。瀧見台での見学は帰路にして先へ進んだ。
瀧を過ぎると勾配は無くなった。1630m地点に展望台がありベンチが置かれていた。1本立てた。南方が開けて登ってきたルートが一望できて、その先に遠くに氷河の山々が並ぶ。雲取山にも満たない標高で、3000mの山に匹敵するこの高度感は何故であろうか。
歩き始めると鹿が現れて傍に寄って来た。若い雌鹿と勝手に決め付けた。遠くでケーンと親の警戒する啼き声が聞こえる。が、若い雌はおじさん達の素敵な魅力に取り付かれたのか、何処までも付いて来る。草叢から雷鳥が道の真ん中に出てきて往来を塞いでしまた。じっと鹿を見つめているようだ。若い雌鹿に説教でもしているのだろうか?この雷鳥はきっと年寄りのお節介な雌に違いない。EMPEROR Fの小さなテン場を過ぎると、視界が一気に開けて広い川原歩きとなった。前回山本さんと来た時は18時を過ぎていた。カナダのこの時期は、一番暑い時間でしかも川原の石は焼けていた。辛い最後の詰めを振り絞って歩いた記憶が甦って来た。石を踏んでの川原歩きが続いた。若い雌がまだ後を追ってくる。未練だ「おじさん達は皆妻子持ちだよ!」と叫ぶと若い雌がすーと消えて行った。可愛そうな気がしたが仕方が無い。恋とは中々成就しないものです。まして初恋とゆうものは。そしてMARMOTのテンサイトが現れた。この先は湖に沿っての涼しい木陰の道で目的地は直ぐそこ。
12時10分BARG Lに着いた。先ず仲間のテントを捜す事にした。このサイトは26張りと最大規模であるが、シェルターの近くに張ったに違いないと、ブッシュに分け入ると案の定黄色のテントを見つけた。ここのサイトは木で四角に囲み木のチップが敷き詰められていた。水はけが良くクッションにもなる。
ログハウスの瀟洒なシェルターの前が芝生のお花畑になっていた。ランチタイムである。靴を脱いで裸足になり、前に流れる小川に歩き疲れて火照った足を浸した。水は思っていたよりも冷たく1分も浸かっていられなかった。そして芝生に戻って弁当を広げた。パンに分厚く切ったチーズとハムを何枚も無造作に挟んだ男の料理?ダイナミックであった。清流の先にBARG LAKEの翠色の湖面が広がり、その向こうの岸辺に雄大なMt.ROBSONが聳え立つ。その頂からHARGRAVES GLACIERがBARG LAKEに流れ込む。厳然たる時空を放出して輝き。ただ見つめる我々。
昼飯が終わったのが13時近かった。この上にMARMOT TRAILがある。5時間強で1週出来るルートで、全回来た時には、足の踏み場も無い程の見事なお花畑が広がり、足下にBARG LAKEと起立するMt.ROBSONが展望できる素晴らしいトレールであった。そこの景色を是非見て欲しかった。時間的に1週するのは無理にしても、さわりの部分だけでも。慎重な性格の加藤さんが「日本の夏山では考えられない行動時間だ」と躊躇した。確かにこれから素直に下っても4時間は掛かる。しかし我々は空身である。この時期は23時頃まで明るく、現地の人は20時頃までは平気で行動する。そこで「1時間だけ登って引換えそう」と提案した。
TOBOGGAN FALLに向かって花で彩られた道の高度を上げて行った。地図上では2000m付近に瀧がありそこから1直線にBARG Lに沢が流れ落ちている。沢と言ってもスラブ状のナメ底で沢全体が瀧のよう感じである。30分歩いた所に展望台があった。時計は13時25分を示し高度計が1840mを指していた。眼下にBARG LAKEが広がりMt.ROBSONの眺めも先ず先ずである。ここまでで妥協することにした。
帰路、BARG L の仲間のテントの前を通り過ぎようとした時であった。突然、藪の中からKさんの特徴のある不気味か声が飛び出て来た。まさかと思っていたら本人が現れた。
お互いに予期せぬ再会をであった。14時である。我々は彼らが戻ってないと思っていたし、彼らは我々がBARG Lから帰ってしまったと思っていた。短い時間にお互いの出来事を話し合い全員でテントの前で記念写真を撮って、明日の再会を約してテン場を後にした。
BARG Lの湖尻が見えて来た。いよいよお別れだと感傷に浸っていた時である。開けた川原の小さな沢の畔に人影を見出した。2人のようである。1人が立って、1人は座っている。---。だんだんと近づく---。立っている人はご婦人のようだ。後ろ向きでビキニを着た裸で、両腕を水平に伸ばし両手に何か持っているようだ。---。接近した。アっ、あのおばさん---。ブルンブルンおばさん。片手にあの青いシャツ、もう一方にバスタオル持って両腕をぐるぐる回し腰を振る。ビキニパンツからはみ出た何枚もの肉ビラがブルンブルン。悪魔のような醜悪な絵が網膜に焼き付いてしまった。
この後旅行の綺麗な景色を見る度に、ブルンブルンおばさんの出現の恐怖に悩まされてしまった。神秘な湖を見つめていると突然湖面を割って現れるおばさん。美しい森を歩いているとお花畑のベットに横たわりブルンブルン。雪渓を抱いた丘の上から両腕を振り回して走り寄って来るおばさん。
おばさんから離れてMIST GLACIERの小さな湖に女子高校生の集団が裸で屯していた。この集団とKINNEY. Lのテン場まで後になり先になり下山することになった。エピソードもあるが紙面の関係で割愛する。
16時40分ROBUSON Rの川原に出る手前の山道に、登山者が数人固まっていた。落石だろうか?と声を掛けたら「熊が出た」と言う。5分位前に熊が目の前の登山道を横切った。黒くてさほど大きくなかったと言った。BARG L組からもトレールで遭遇したと聞いた。この山域、高をくくっていたがかなり数が生息して居るらしい。
18時にテン場に着いた。一息ついて夕食の準備に取り掛かった。無計画であったので食材は乏しくアルコールも底を尽きかけていた。妹尾さんと筑田さんが共同で差し入れてくれたビール3本と小生が持って来たウイスキー1本のみである。3人で無造作に飲めば一晩で底を着く。ともあれ手持ちの材料で凌ぐしかない。「作り方は袋に書いてある」と渡されたミネフトローネ。細かい文字が印刷されていた。眼鏡は車の中に置いて来た。目を四角や三角にして必死読み取った。レシピは英語とフランス語で書かれていた。4カップの冷たい水に材料を入れて10分間煮詰めると読み取れた。が、スープの素は袋の中身であるが材料が分からない。人参もジャガイモも昨日のカレーに使ってしまった。山下さんや加藤さんに聞いても分かるはずが無いし---。即席ラーメンの毀れた屑のような物がビニール袋に入っていた。他にはパンしか残っていない。水とラーメン屑とスープの素をコッヘルに入れて火を点けた。そして正確に10分して火を消した。蓋を開けて見ると水気の無い煮込みラーメンが出来上がっていた。匂いはトマトケチャップのようなグチャグチャな伸びたラーメン。翌朝用にパンを3枚残すと、1人当たり1枚のパンに小さな食器1杯のグチャグチャラーメン。薄く延ばしたウイスキーで乾杯し晩餐に取り掛かった。食糧計画もアルコール計画も失敗である。
食後の薄いコーヒーを飲みながら、加藤さんが必死に鍋の底を割り箸で突っついていた。こげガびっしりと厚くこびり付き、中々剥がれてくれないのだ。持ち主からクレームがつくに違いない。
下山した後に筑田さんから感想を聞かれた「上手に出来ましたか?美味しかったでしょう」。「不味かった」などとても言える筈が無い。小山さんから「馬鹿だね」火に掛けたらその間焦げ付かないように掻き回すのは常識でしょう。「説明書には書いて無かったもん」。
【メニュー】
朝 パン・カレースープ
昼 サンドウイッチ・林檎・グレープフルーツ
夕 ミネフトローネ・パン
【費用】
〔雑費〕0
7/11(水)晴
KINNEY LAKE09:00⇒10:50 TRAILHEAD(駐車場)11:00⇒11:10 VISITOR CENTER
13:20⇒14:10 JASPER
山下さんが朝起きてトイレに行った。未だ具合が悪いらしい。朝ご飯と言っても、1人1枚の食パン。後は非常食を兼ねた行動食が少しだけ。下山すれば何でも腹いっぱい食べられるとBARG LAKE組を待たずに出発する事にした。
KINNEY LAKE09:00⇒10:50 TRAILHEAD 歩行距離7km 時間1.50h標高差113m
朝、曇っていたが歩いているうちにからりと晴れ上がり暑くなってきた。30分も歩くと湖尻である。展望台から朝日に輝くWHITEHOMを湖面が映し出していた。
10時を過ぎると登山者やKINNEY Lまでのハイカーで賑わってきた。ツアーガイドに引率された日本のおばさん達の団体もやって来た。そしてゴールのROBUSON RIVERの橋を渡った。
広い駐車場には何十台もの車が止まっていた。中にアルパインツアー会社の大型バンの姿もあった。体の動きが停止すると待ってましたとばかりに雲霞の如く蚊が集まって来る。BARG LAKE組が下りてくるのは早くて12時である。VISITOR CENTERに移動してそこで待つことにした。
広い駐車場の隅の方へ駐車した。北側は草原でカラマツ林が縁取りその向こうに紺碧の空にMt.ROBSONが聳え立っていた。靴を脱いで裸足となりザックの中身やテントを取り出し草の上に広げた。観光客の群がる瀟洒なVISITOR CENTERの一角にたちまち難民キャンプ村が出来上がった。山雀の皆さんは海外の観光地でも少しも躊躇致しません。
山下さんが登山口まで迎えに行き後続組みが合流すると難民村が拡大した。炎天下は35℃を越えるが、風があるので蚊が飛ばず、木陰に入れば心地良い。短パンにTシャツでビーチサンダル。山雀さんご一行は周囲の目を気にしない。
JASPER=JASPER国立公園内に位置する、カナディアン・ロッキー第2の都市。国道16号線沿いに日本の本州の形状で長さ6km、幅2km程で周囲をATHABASCA 川や幾つもの湖に囲まれた小さな観光の町である。
13時20分に難民キャンプを発ってJASPERに着いたのが14:10であった。日本で予約したATHABASCA MOTER HOTELを捜しながら車を走らせた。小さな町である。2回目の右折でPATRICIA Stを掴まえた。番地が少しずつ上がり510番地に目的のホテルがあった。町の中心地で郵便局の隣で鉄道駅の直ぐ近くである。19世紀に建てられた由緒あるホテルで、さしずめ日本の帝国ホテルとゆう感じである。
チェックインの15時前であったが快く部屋に通された。このホテル1階がロビーで居酒屋とレストラン。客室は2と3階にあり、エレベーターが無いので、3階の部屋まで長い階段を重いザックを背負って登るのは辛かった。クイーンサイズのベットが2台。公園に面した景色の良い東側の部屋に男性4人が、西側の部屋に女性2人で使用する事になった。とりあえず荷物を部屋に放り込み昼飯を食いに帝国ホテルを出た。
表は日差しが強く暑かった。手持ちの現金が底を着く状態であったので、ホテルのフロントで銀行を尋ねて、思い思い引き出しや両替をした。「昼は簡単に済ませてディナーに気合を入れよう」と妹尾さんの提案に全員が賛成し、ファストフード店を求めて駅前の方へ炎天下を歩いた。
夕方と言っても未だ十分日が高い中を山下さんと加藤さんと連れ立って再びホテルを出た。Tシャツに短パンと日差しが強いが心は軽快に弾む。散歩方々乏しくなったガスカートリッジの補充やウインドショッピングである。ホテルの前のPATRICIA Stが目抜き通りでJASPER銀座商店街と言った具合であった。通りを南下してみた。日差しを避けて通りの西側の日陰を歩く事にした。交差点を渡って最初の店がスポーツ店で、加藤さんがカートリッジを買おうとした。処が、発音が悪かったのか、ガソリンスタンドの場所を教わってきた。隣もスポーツ店でそこで手に入れた。小さな町の商店街である、10分も歩くと終わってしまった。
一旦ホテルに戻った。今晩ホテルに宿泊する目的は体の洗浄と衣類の洗濯である。テントに4連泊して炎天下の山を歩き回った。乾燥していて汗は余り気にならなかったと言え
体はべた付き風呂に入りたかった。この欲求は旅を企画した時から予想できた。事前の情報によるとJASPERは国立公園内にあり、新たな建物の建造は一切認められず、ハイシーズンのこの時期に予約無しでの宿泊は不可能な事であった。まして我々は6人の大人数である。旅雑誌やインターネットを駆使して情報を集めた。料金は15年に比べると50%も値上がりしていた。しかし値段に拘っていられなかった。一部屋165CDプラスTAX。一番易いと思われるホテルをターゲットにしてネットで予約を入れた。慣れないネットと拙い英語でのやり取りであった。予約が確保できた時にどーっと疲れが出た。
19時にロビーに集まった。手近にあるこのホテルのレストランを利用する事にした。本日のお勧め「鳥の手羽の蜂蜜風味ソテー」。食前酒にビールをオーダーしてデザートはコーヒー。料理は甘く塩味を好む日本人にお口に合っただろうか?
今回もまた男性人は2人で1台のベットを共有した。クイーンサイズなので1人の幅は悠に1mはありテントに比べれば余裕である。慣れたものでカバーと毛布を夫々が選び採った。5日振りに快適な眠を貪る心積りであった。が、エアーコンが無く暑いので窓を開け放つ。中々沈まない太陽が燦燦とした輝きを送り込んで来る。待ち望んだミッドナイトを過ぎても、前の公園街灯は真昼のように明るく、集まる人の声やざわめきが潮騒のように響き渡り、眠りに入れたのが3時を過ぎていた。
【メニュー】
朝 パン・コーヒー
昼 ミネフトローネ・パン(ファスト・フード)
夕 蜂蜜味のチキンステーキ・ビール・コーヒー
(レ ストラン)
【費用】
〔引出〕100.00CD
〔雑費〕昼食8.00 夕食30.00 酒(ビール12.80 ウイスキー39.95)52.75 自己負担16.38
7/12(木)晴
JASPER08:00⇒11:55BOW LAKE TRAIL15:00⇒16:00LAKE LOUISE18:00⇒18:30
PROTECTION MOUNTAIN C.G
今日も晴天である。8時ホテルを出てJASPERの町を後にした。車は国道93号を滑るように南下した。30分の走ると国道沿いのATHABASCA RIVERの川岸に瀟洒のキャンプ場が現れた。入り口にログハウスが建ち前面が広い芝生である。我々はその芝生を拝借する事にした。勿論断り無しである。山雀ご一行はこの辺の事は誠にルーズで図々しい。そして手際が良い。アッと言う間にサンドウイッチが並び飲み物が用意された。青空に燦燦と輝く太陽。清清しい山々とラーチの森、川を渡ってくる風が心地良い。朝飯と言うよりBREAKFASTの言葉の方が相応しい。
再び走り出した。お腹もきつくなり単調なエンジン音が眠りを誘う。起きているのは加藤ドライバーとアシスタントだけのようである。いやアシスタントも怪しい。半分居眠りしてそうである。カナデアンの雄大な山並みも感受性が鈍くなり、シャッターを切る回数も激減した。そしてBOW LAKEへの曲がり道を通過してしまった。
引き返してBOW LAKEへの道を辿り駐車場へ着いたのが12時であった。
BOW LAKE 歩行距離--km
時間2.55h 標高差200m(1600m-1800m)
7/12 TRAILHEAD12:15--12:25展望台12:30--13:00 1800m 14:20--14:50 TRAILHEAD
駐車場は4〜50台の車が駐車していた。前後して大型観光バスが入り観光客でトイレに列が出来ていた。トレ−ルはコンクリートで固められ、老人や子供がハイヒールやスニーカーで闊歩する。観光地を登山靴で歩く我々が浮いた感じで違和感があった。
10分も歩くと展望台があった。なるほど台に立つとBOW LAKEの眺めが良く、ミルクを溶かしたような特徴ある氷河湖が一望出来た。しかし、例えば観光旅行で高台から日光の中禅寺湖を眺めているようで、確かに綺麗と思うが思い入れや情感の裏打ちが無く、数多い観光写真の1枚の絵としか映らなかった。
トレイルを南に歩くと観光客の姿が忽然と掻き消えた。そしてBOW サミットへの岩が聳え立ち微かに踏み跡がルートを示していた。やや急登である。30分も詰めると小さなガレの台地となって、雪渓や小さな森とお花畑が現れた。荷物を下ろしてランチタイムである。足元には BOW LAKEや広大な大地を国道とBOU RIVERが細い銀色の糸のように走る。箱庭のような眺めである。風が有るので蚊が飛べないと、油断していたらシャツの上から背中を刺された。食後に、元気な妹尾さんと加藤さんが「上の岩場を覗いてきます」と雪渓を登って行った。往復30分は掛かるであろう。残りの人は小さな森の探検やお花畑の観察。面倒くさがり屋の私は怠惰の時間を貪った。
LAKE LOUISEに着いたのが16時であった。BANFFとJASPERに挟まれた要所の村であり、カナディアン・ロッキーの宝石LOUISE湖を抱える観光のポイントである。駐車場を囲む小さな1画にインフォメーションや郵便局と小さな食料品店や私にとっては欠かす事の出来ないリカーショップが軒を並べる。駐車場に立ち周囲を見回すだけで小さな村の様子が把握できた。LAKE LOUISEはロッキーきっての人気のあるキャンプグランドである。時計は16時を回っている。食材等の買い物は後回しにしてキャンプサイトの確保を優先する事にした。
村からBOW RIVER沿いに南に5分程走った所にLAKE LOUISE CGがあった。入り口の手前の道路中央に小さな建物があり車が4〜5台列を作って停止していた。我々は無視してその横を通り抜けた。これが大失敗であった事に気が付いたのは3時間後であった。
BOW RIVERに掛かる小さな橋を渡るとキャンプグランドであった。道路や森は整備され周囲は熊除けの電気フェンスが張り恵まれされてセキュリテーにも配慮されていた。
16時30分、広いグランド内を物色し、水場キジ場に近くしかもセンスが良く居心地良いサイトを選び出して車を止めた。そして買出し班とテント設営班に分かれてパーティーの準備に取り掛かった。
トド2頭と加藤さんが残りテントを設営し水を汲んだ。そして、十分な薪を集めて竈で火を点けた。薪は乾燥していて新聞紙数枚で直に火が点いた。これで少しは蚊除けになる。
17時、妹尾さんの運転する車で女性陣の買出し班が帰ってきた。肉や野菜と冷えた缶ビール。心地の良いテン場である。日が落ちるまで有り余る素敵な時間。ビールが冷たいうちに先ずは乾杯とテーブルの上にオードブルを広げた。私はテーブルに並んだアルコールの量を推し量った。缶ビールが1人2本、別にウイスキーとウオッカ---。にやりと頬を笑んだ。そして、プルトップが引かれて幸せな時間に突入して行った。
30分も経っただろうか、横に1台のセダン止まった。そして、金髪の若いカップルが歩み寄って来た。「なんだろう?」皆の視線がカップルに向けられた。カップルが言った「私達が予約したテン場です」---「え?」。
メンバーにとりあえずテントの撤収を頼み妹尾さんと二人車に乗った。キャンパーから情報を聞き集めた。このCGは「全サイトが指定である」と、そして車をCG入り口の事務所に走らせた。
国道1AをBANFF方面に走らせた。今回の旅で数々の失敗があったが、その中で最大のピンチであった。妹尾さんがハンドルを握っていた。本来私がすべきであったが、運転者人数制限の関係で登録から外し、また上乗せの自動車保険も解約済みで運転が出来ない状況であった。登録された3人の中で一番経験がありまたアルコールの摂取の少ない妹尾さんにお願いした。兎に角事故は絶対に起こせない。助手席に座って緊張してナビした。紹介されたPROTECTION MOUNTAIN C.Gは20km先である。時計は18時を回っていた。
【メニュー】
朝 サンドウイッチ・コーヒー
昼 サンドウイッチ・ジュース
夕 ソーメン・チキンソテー・サーモンソテー・ポテトソテー
【費用】
〔雑費〕HOTEL 438.94(CARD) GAS 44.47l 62.12(CARD)
7/13(金)晴
PROTECTI Mt09:40⇒09:45TAKAKKAW FALLS⇒YOHO VALLEY TRAIL⇒
TAKAKKAW FALLS18:10 ⇒20:00CASTLE MOUNTAIN CG
泊まったテン場はLAKE LOUISEよりも格が数段も落ちていた。場内の森は余り手が掛けられずその分蚊の多い事、誠に多い事。近くに貨物車の操車場があるのか、夜中に貨物車の連結する音を何度も繰り返し伝えて来た。それも何十両もの繋がった貨物車同士がぶつかり合うので半端な音ではない。実に喧しく眠りを妨げられた。それでも山下さんは「ホテルよりもテントの方が良く眠れる」と言う。本物のトドと言う物は食べて満腹さえしていれば雑音など気にならないらしい。
カナディアン・ロッキーは何度も来ているが、YOHO国立公園は未踏と言うので、YOHO VALLEY TRAILを歩く事にした。例の如く入り口の料金箱に使用料を支払い、国道1AをまたLAKE LOUISEに向けて走った。今日もお天気は上々である。コックピットの山下さんが丸々と太ったお腹の前で、太く短い腕で器用にハンドルを操る。国道1号線と平行する1Aは、交通量が少なく森の中をのんびりとした気分で走れる。LAKE LOUISEで左折をして、国道1号線を10km程走行し、次に右折してYOHO VALLEY Rdを5kmほど走れば目的地の駐車場である。この最後の5kmのドライブがスリリングで面白い。右にYOHO RIVERの深い渓谷を見ながら一気に5〜600mの高度を上げる。道幅は狭く大型車はスイッチバックを強いられる。山道の運転をこよなく愛する山下さんにとっては、この運転で旅の大半の本が取れたのではないだろうか?
駐車場、つまりTRAIL HEADはTAKAKKAW FALLのまん前であった。広い駐車場の大半車が、いや殆どがこの瀧の見物客であった。なるほど落差が5〜600m有りそうな見事な滝である。ただ頭の中では何の感動も無く「見事!」と言葉が出てきただけである。
YOHO VALLEY歩行距離18.5km 時間8.00h 標高差700m(1500m-2200m)
7/13TRAILHEAD10:10--11:20LAUGHING F11:25--12:10I--13:10REST13:40--13:45
A.C.C.HUT14:00--14:00S--15:35 2200m--17:00I--18:10 TRAILHEAD
歩き始めた。歩いているのは我々6人だけであった。10分もするとトレッキングの案内板が立っていた。建前どおりに英語の隣に同じ大きさでフランス語が併記されていた。この建前が少し可笑しかった。BANFFでもJASPERの案内所にも、必ずこの2つ言葉のパンフレットが置かれていた。が、フランス語を手にする人は目にしなかった。看板の先はテントグランドであった。広いグランドには小さな川が流れて、遠くに氷河を頂く山々が連なり風光明媚である。1500mと標高が高く風が通るので蚊が飛べなそうである。食料さえ準備していたらここに泊まるのも悪くはない。
川原歩きからトレールはラーチの深い森に変わった。筑田さんが感嘆の声を上げて指差した。見れば濃い緑のカラマツの森に黄金色の立ち木があった。突然変異であろうか、それと立ち枯れなのか、何とも不思議な色合いである。筑田さんがまた声を上げた。大きなお腹のマモットが岩に寝そべっていた。度々のおばさんの喚き声に「うるさいな」と面倒くさそうに腰を上げて、大きなお腹を揺すって巣穴に入ってしまった。若い娘では有るまいし、一々声を上げるな!
13時10分、小川を渡りランチタイムと小さなお花畑に腰を下ろした。カナダの山ではお花畑に座るのに呵責も自責の念は無い。自然と人のバランスの問題である。大きな自然の中に人の数が本当に少ない。パンを頬張っていると、またもや筑田さんが声を上げた。「またか」と呟くと、「ねえ、ねえ、若い子が来るよ!」声のトーンが一際高い。見れば40歳手前の日本人らしきおっちゃんが川を渡るところであった。「若い子」と言う。私が「若い子」と聞けば、例えば「男の子」であれば夏の甲子園の球児イメージし、「女の子」であればセーラー服を着た学生を連想する。筑田さんの年令感覚が分からない。要は「男であれば」の算式なのか?件の「おっちゃん」が傍にやって来た。日本人であった。団体旅行から抜け出して、我々と同じルートを1人で歩くと言い、「ホテルは1泊10万円です」。カナダに思い出を作りに来ましたと言う。我々もまた思い出を作りに「宿は皆で2000円」です。 若い子の「おっちゃん」に別れを告げた。15分も歩くと森が切れて草原が広がっていた。遠く雪渓を頂いた山はAMISKWI PEAKであろうか、地図がないので分からない。右の森を背にしてカナダ山岳会のLODGEが建っていた。淡い緑色のトタンを葺いたログハウスである。当初はカナダ山岳会LODGEに泊まる計画であった。が妹尾さんがインターネットで苦心して調査し予約を試みたのだが、大手旅行会社に抑えられてしまっていた。窓からの中を覗いた。薪ストーブを中心に飾りの無いシンプルな木のテーブルや椅子置かれ、隅の壁に食器棚に質素なお皿が掛かっていた。憧れが詰まっていた。トイレを借りてお礼に薪を割った。小屋の前で記念に写真を撮り宿泊の気分に浸った。
トレールは草原を横切り小川に掛けられた小さな橋を渡る。その後200mほど高度を上げると草付きやお花畑となり所々に雪渓が現れる。雪渓は日本と異なり埃や黄砂が無いので純白である。戯れて雪渓に顔を突っ込んでそのまま雪を口に含む。お日様をたっぷりと取り込んだ雪は柔らかくそして冷たく透明な味がした。
暫くするとガレ場となって氷河に沿っての道となる。その気になれば氷河に触れる事も出来るが視覚だけでも満ち足りていた。相変わらず歩いているのは我々のみ。周囲は無言の氷河の山々と蒼い空に眩しい太陽が一つ。
15時35分。2200mこのトレールの最高点である。小休止と持参の缶ビールを雪渓に埋め込んだ。後は下りを残すのみである。下ればこの旅のトレッキングも終わる。山旅最後のトレッキングに、このトレールを選んだのは間違えでなかった。お花が咲きこぼれる森の小道から小川の流れる草原を大胆に横切り、純白の雪渓とお花畑に遊び、荒涼氷河とガレ場中の一本の道を淡々歩む。距離約20km、標高差800m、歩行時間8時間のこのルート。すれ違った人は10人に満たなかった。
谷の向こうのTAKAKKAW FALLSを足下に眺めて、その後一気に下り下りて駐車場に戻ったのが18時を10分過ぎていた。十分歩いた満足感で充足されていた。気に掛かるのは今夜の宿テン場である。今日こそはLAKE LOUISEに泊まりたい。が、時間が時間である。これから赴いて空いているとは思えない。帰りは加藤さんがハンドルを握った。狭い下り坂である。「右に寄りすぎだ」、「スピードの出しすぎ」、「怖いよ!」と、車内に色々な叫び声がと声が飛び交う。加藤さんは背筋を立てて無表情でハンドルを操作する。
やはり満杯であった。インフォメーションで聞き出した。静かさを条件に挙げた。車はまた国道1Aを南下している。昨日よりも5km先のCASTLE MOUNTAIN CGを目指していた。距離が伸びるのに反して気分は落ち込んでいた。今日こそは分厚いステーキとデブの山下さんと期待していた。「分厚いステーキに本物のバターたっぷり落として」、カナダ山旅の重要な目的の一つであった。本来なら昨日の晩のメニューが「分厚いステーキ」と「ソーメン」であった。処がLAKE LOUISEの小さなお店は売り切れであった。代わりに鳥肉とシャケ買い込みステーキにしたが、私に言わせるとそれは肉では無かった。今日のお店にはその代わりの肉さえ姿を消していた。
20時にテントサイトに落ち着いた。トイレから200mほど離れていたが、小さなクリークの畔で水道は目の前である。折り合いを着けて荷物を解いた。蚊が思ったよりも多くしかも執拗である。手足や顔や頭と所構わず乗ってきて針を下ろしてくる。叩き潰される事など屁とも思っていない。私の持って来た防虫剤は底を突いたので、妹尾さんや小山さんのを借りまくる。お湯も沸いたし、そろそろ料理に取り掛かろうとした時に、またミスに気がついた。サイトの入り口に小さな文字で予約者の名前が記されていた。発見したのは、用足しに出掛けた妹尾さんであった。
隣のサイトに荷物を手渡しで運んだ。火のついた薪も。時計は21時を回っていた。疲れと執拗な蚊の攻撃に切れてしまった人。切れる寸前の人。---思い出を作りに来た。
テントに入り横になった。今日も充実した長い1日であった。眠りに落ちようとした時に車が停止する音がした。こんな夜中にと不審に思っていると、グランドの管理人のようである。筑田さんが応対に出た。「黒い熊が出たので匂いの出る食料や食器は車の中にしまうように」。筑田さんが男性陣のテントに近づいて来る気配がした。「聞いていたよ」と言ってシュラフから這い出した。
【メニュー】
朝 ミネストローネ・サラダ・パン
昼 サンドウイッチ・林檎
夕 スープ・ご飯 【費用】 〔雑費〕0
7/14(土)晴
CASTLE MOUNTAIN CG 09:20⇒10:20 LAKE LOUISE 10:50⇒11:55 BANFF13:40
⇒15:00CALGARY
事実上の最終日である。今日は観光とお土産を買う日にした。持参した少ない衣服でおしゃれをした。が、男性陣は見栄えのしない山や姿である。流石に女性は手持ちが多くズボンやシャツを替えて着飾り、いつの間にか紅を引き化粧までしていた。
「一度も見た事が無い」と言うよりも、海外旅行初体験の山下さんの為にLAKE LOUISEを見物する事にした。カナダツアーに必ず組み込まれる超有名な観光スッポトである。
また国道1A北上して1時間馴染みになった村の横を通り抜けて坂を登ると駐車場である。有名観光地である。入り口に交通整理のおじさんが2人もいた。指定されたのは湖に近い1番上のブースで見覚えのある場所であった。15年前に山本さんと来た時もここであった。あの時は小雨が降っていた。私が誤ってエンジンを掛けたままでキーを付けてドアロックしてしまい、駐車場と下の村まで片道30分を2往復した思い出の場所である。
氷河を抱いたMt.VICTORIAを映し出すエメラルド・グリーンの神秘的な美しい湖面。とガイドブックに書かれている。「山下さんの為にわざわざ観に来た!」と口を揃えて言うと、「ちっとも綺麗でないよ」。「BERG LAKEや昨日の湖の方が全然綺麗だよ」と可愛げのない事を言う。「山下さんの為に来たのだ!」と我々は繰り返す。
三々五々と見物客で賑わっていた。勿論日本人のツアーも多く湖をバックに盛んにシャッターを切っていた。湖の後ろは花と芝生の庭園でその向こうに白亜のホテルが彩りを添える。1泊数万円であろうか私には無縁である。が、メンバーの多くは何回か来たと言うが、宿泊したのかは質問しなかった。HOTELに入ってみると高級ブチック店が並んでいた。私には無縁の場所であった。コーヒーショップが目に留まった。香ばしい匂うが漂って来た。久しく美味しいコーヒーを飲んでいなかった。---通りすぎた。メンバーには無縁だ。
BANFFに着いたのがお昼であった。蛇行したBOW RIVERとMILE CREEKに囲まれた人口3500人の小さな観光の町。日本人観光客に人気の町である。私の嫌いな土産店OK(大橋巨泉の店)ストアーもある。町の中心で前面に広い芝生を持つWHYTE MUSEUMの前に車を止めた。
2時間の自由行動を提案した。治安の良い観光の町で商店街は南北1kmにも満たない小さな町である。単独行動をしても安全で迷子になる心配は無い。見知らぬ町を小さな冒険心を持って1人で歩き、人と出会い触れ合い感動し思い出を作って欲しい。
筑田さんがBOW RIVER先のインデアンショップに行くと言って東に歩いて行った。残りのメンバーとインフォメーションに行きタウンマップを貰って皆に渡した。集合場所と。時間を確認してそして別れた。
太陽が頭の真上にあった。強い日差しの中のメインストリートを東に歩いた。お腹が空いていたので飯が食べたかったが、どのレストランも満席で1人では入りにくかった。駅前に行けばファストフーズ店が有るだろうと交差点を右に曲がった。コーナーに本屋があったので迷わず入ってしまった。
本屋とスーパーマーケットと公園は私の休息所である。独り旅のアイテムである。心や体が疲れた時に必ず立ち寄る場所である。本屋ではガイドブックや趣味の本や山の地図を広げて心の休息を摂り、スーパーではその土地の珍しい食べ物やお土産を物色して、公園の芝生で缶ビールを持ち込んで昼寝を決め込む。
中は暗かった。いや暗く感じたが目が直ぐに慣れた。隅に愛想の良い小父さんが座っていた。「今日は」と声を掛けて店内を見回した。町の規模と同様に小さなお店であった。地図のコーナーを見つけて歩み寄った。静寂であった。時が停止しているようである。私の魂が地図の上を遊びまわっている。そうして1枚の地図が握られた。
このようにして集められたネパールのヒマラヤからアイルランドの低山まで山岳地図、小さな町の古いヨーロッパの街の地図など自宅に何枚もある。
代金を支払う時に捕まってしまった。暇な小父さんは中々私を解放してくれない。これから飯を食ってお土産も買わねばならない。タイミングを量って「さよなら」を告げた。すると小父さんが帽子に飾るバッチをおまけに呉れた。
スーパーを見つけた。この前に共同の食材を買った店より大きかった。買い物籠を手に提げて惣菜コーナーを覗くと、お姉さんが後ろ向きでサンドウイッチを作っていた。声を掛けると、「手が離せないので少し待ってね」と返事が返ってきた。好都合であった。「何にしますか?」と急かされずにゆっくり品定めが出来る。ウインドーの中に焼ソバやパスタやサラダが並んでいた。どれもが美味しそうである。しかし胃袋に限度がある。姉さんの仕事が終わるまで時間があった。吟味して決めた。お姉さんが「お待たせ!」と言って振り向いた。可愛い!!---、私は「焼ソバとインデアンライスを下さい」「サイズはミディアムでお願いします」と、スモールの心積りであったが見栄を張ってしまった。お姉さんが容器に詰めている内に少し冷静さを取り戻し、「W0uld you please, I need a plastic spoon」と付け加えた。この一言が無かった為に、ニュージーランドの田舎町で下を向いて路上を、歩き落ちていたスプーンを拾って食べた苦い経験を思い出した。
飲み物とお土産を買ってお店を出た。お腹も空いていた。公園の涼しい木陰のベンチか芝生を捜すのだが一向に見つからない。歩き回っている内に集合場所のMUSEUMまで来てしまった。この前面が芝生で立ち木の下が涼しそうであるが、どうにも入りにくい。通りの反対側に市民プラザがあり、屋根の下のベンチが日陰となっていた。
ベンチに座り弁当を広げた。雑穀や豆とライスを酢とオリーブ油で炊き込んだ混ぜご飯で、ニュージーランドではインデアンライスの名称で売られていたが、カナダでも通じた。暑い夏に酸味とオリーブオイルの香りの冷たいご飯が舌に合う。それと焼ソバ---、しまった。フォークを貰うのを忘れていた。あの時は完全に冷静ではなかった。可愛いお姉さんのつぶらな瞳を思い出した。
約束の10分前に集合場所に戻った。筑田さんがニコニコとした面持ちで帰って来た。どうやら思い通りの土産が手に入ったようである。次に姿を見せたのは妹尾さんであった。やはり手にお土産を握っていた。そして時間をややオーバーして残りの3人が連れ立って戻ってきた。この3人はとうとう1人歩きが出来なかったようである。お土産も日本語の通じるOKストアーで購入したと言う。旅は冒険であり不安や心配や失敗はつき物である。人を信じなければ旅は出来ない。が、人の多くは生きるが為に旅人を騙そうとする。この見極め重要でこれを誤ると手痛い打撃を受ける。複雑であるが旅の醍醐味である。しかし、この町BANFFに於いては生活に逼迫している人は少なく危険性は少ない。失敗してもダメージは小さい。多いに冒険すべきであったと思う。
CALGARYの町には15時に着いた。HOTELと言ってもMOTER INNであるが2軒目で妹尾さんが決めた。確かに1軒目がインド人の陰気おっちゃんで、2軒目が若くて明るいお姉さんであったが、部屋の決め方がちぐはぐであった。女性陣2人にはキングサイズベットルーム。男性陣4人でキングサイズベットが3つである。成り行きで決めてしまった。チェンジも面倒なのでそのままにした。
シャワーを浴びてさっぱりして車でディナーに出掛けた。宿で教わった店で人気があるのか地元の人で混んで待たされた。最後の晩餐に少し贅沢をした。加藤さん山下さんと私はこの店のトップメニューのベースボールステーキ。味とボリュームに大満足であった。
【メニュー】
朝 パン・コーヒー
昼 焼ソバ・インデアンライス
夕 ステーキ・サラダ・ビール
【費用】
〔雑費〕スーパー116.04 コーラ1.75 ビール2.75 ディナー4561円
ROYAL
7/15(日)晴
7/16(月)曇り
MOTER INN 06:00⇒06:30 CALGARY AIRPORT10:10⇒NW1544 10:10⇒13:46
(MINNEAPOLIS)15:05⇒NW0019日付変更線⇒17:05TOKYO(NRT)
HOTELを6時に出発した。カナダを離れる日も上々なお天気である、晴れると気分も明るくなる。車は渋滞にも捉まらずに順調に走った。ガソリンゲージはアンダーを差して計算はぴったりであった。30分で空港に着いた。車を返すのに時間が掛かるのではと、心配は余所にダラー社のブースに車を止めて、近くに居た係員にキーを返すだけであった。あっけない間に手続きが終わりチェックインカウンターに向かった。
NWA航空の搭乗手続きがややこしかった。ずいぶん慣れた積りであったが戸惑った。係員や案内人にチケットを示して窓口を尋ねた。何度も、しかし分かりにくかった。とどのつまりが米国行き窓口は一つであった。チェックインも自動機でこれもややこしく時間が掛かった。その後に荷物を預けて機内持ち込み手荷物検査である。ここもテロ対策でやかましく、間違って処分するのを忘れた缶ビールが引っかかり没収されてしまった。ある程度英語力が無いと個人旅行は難しいと思った。
8時前に出発ロビーに辿り着いたが離陸まで2時間もある。残っていた共同食のクッキーで朝飯にした。なんと加藤さんが検査をパスした缶ビールを差し出した。冷えてなかったが皆で回し飲みをした。まだまだ時間がたっぷりある。カナダドルを使い残した人が処分の買い物に出掛けて行った。帰国を前に良くある光景である。
NW1544、MINNEAPOLIS行きは予定通りに離陸したが、どのような訳かメンバーの席はバラバラでしかも大きく離れていた。私がエコノミーシートの一番前で、筑田さんが後ろの方である。どうやらダブルブッキングもあったようで、私の席もその対象になっていたようである。早めに乗り込んだのが正解であった。
MINNEAPOLISに着いたが乗り換え時間が1時間半弱と少ない。トランジットとなるとぎりぎりの時間である。表示板をチェックしてNW0019のゲートに急いだ。
成田空港行きのシートは4人が中央の最後部で、椅子が十分リクライニング出来ない席であった。寝にくいからと、通路に寝てはいけません。私と山下さんはその前のシートに並んでいた。後部席の1人がガラの良くない人のようで、乗務員から大顰蹙を買っている様子であった。山下さんと私は係わりの無い人と努めて無視しているのであったが、「ねえこの水を飲まない!」と、スチュワーデスから強引にゲットした水を入れた大きなペットボトルを差し出して、グループの一員である事を周囲の乗客に知らし示す。恥ずかしいから止めて下さい。
日付変更線を超えて機は定刻より少し早く成田空港に着けた。何の問題も無く入国手続きも終わり旅が終了するように思えた。そして荷物受取所で出てくる荷物を待った。筑田さんと妹尾さんのが出て来て受け取った。そして、その後ベルトがぐるぐると意味無く回って荷物が無くなった。係員に訊ねると「これでおしまい」と答えであった。
トランジットが1時間弱と短い事を懸念していた。バッケージクレームに行くと直ぐにコンピューターで調べてくれた。「荷物は早くて明後日に宅急便で自宅に届ける」明日の夕方に何日になるか電話で連絡すると言う。明日バイト先に出勤の際に土産を持って行きたいのだが止む無しである。携帯電話も荷物の中これもまた然りである。手荷物のサブザック一つで身軽に家に帰るのも悪くは無い。駅の売店で缶ビールを買った。無事に帰国しました。皆さん有難う。
【メニュー】
朝 クッキー
夕 機内食 ビーフステーキ
夜 機内食 サンドウイッチ
朝 機内食 うなぎご飯
【費用】
〔雑費〕水0.75 缶ビール5.00SUD 缶ビール300円
【後書】
帰路の飛行機の中で疲れてぐったりしてしまった。話し掛けられても気力が湧かず億劫で、ぶっきら棒な返事をしてしまった。しかし疲れていたのは、私だけではなくメンバー全員であったかも知れない。
確かに独り旅の方が気ままで、自分の好き勝手な行動が出来る。グループ場合は色々な制約があり、自分の思う通りには行かない。特に今回旅は、プライバシーは無いに等しき状態で、しかもチームワークを強いられた。しかし、旅から戻り独りになってしみじみと振り返った時に、何とも言えない達成感と充足感で充たされ、メンバーへの親和感が込み上げて来た。この旅に参加できた事に感謝する気持ちで一杯になった。
山雀グループ50周年を迎えるのに当たって、山下さんと筑田さんの3人で、軽い気持ちで記念海外登山を企画する事にした。候補に挙げたのが、ニュージーランド、ネパール、ヨーロッパ、そしてカナダの山であった。その中から山雀グループに一番相応しいと選んだのがカナダの山であった。
INDEPENDENCEの言葉を添えて、町の地図とバスの時刻表を渡されたのは、初冬を迎えたBOSTON郊外の小さな町WOBUMであった。58歳、初めてのホームステイ。私はママのJARRYLから貰ったこの言葉を胸に必死に戦った。
カナダの山の多くは営業の山小屋は無い。自ら力でテントや食料と全ての荷物を背負い、自己の責任で山を歩かねばならない。正にINDEPENDENCEである。しかし、登山道はきちんと整備いる。その上にテントグランドにはシェルターやトイレが完備されて低廉な料金で利用できる。しかも、レインジャーが絶えず登山者の安全に気を配りフォローをする。自立の精神と体力は使うが経費は安く済む。山雀らしい山である。
5月号ニュースに山行の募集を載せた。カナディアン・ロッキーの山旅、11日間費用総額20万円。現地でレンタカーを使用するために定員を7名に絞った。
予想外の反響と問い合わせがあり、直ぐに定員が満杯となってしまった。逆にこれがプレッシャーとなった。軽い気持ちで物見遊山の旅の積りであったが、登山を真剣に検討せざるを得なくなってしまった。
山岳ツアー会社のパンフレットが集められた。カナディアン・ロッキーの旅、8〜9日間で参加費用40〜60万円。山域やトレッキングコースを検証して見ると、なるほど良く出来ていた。アプローチにヘリコプターや車を使い、山麓の高級ホテルに泊まる。時間に無駄が無い。しかし、きらびやかである反面機械的で人間臭さが無く面白みに欠ける。
手作りの暖かい山旅を心掛けた。レンタカーや宿や入山の手配と準備は大変であった。インターネットでトレッキングルートやホテルの情報を収集。そして、現地ビジターセンターやホテルとe-mailのやり取りして入山や宿泊の予約の確保。カナダドルに対し急落する円の対応。レンタカーの不十分な補償に対する自動車保険の手配等・等---。
パソコンは欠かせない存在であった。各種の予約から保険の手配までネットを利用した。膨大な情報や細かいニュアンスを伝えるのにe-mailが最上の手段であった。準備の段階で役割を分担した。しかし、参加者の中にパソコンの扱えない人や扱えても英文だと引いてしまう人など、準備が捗らず仕事が偏った人に集中してしまった感があった。
この旅の準備段階から通して、他人を何故、如何して、この位の事がと、歯痒い内心腹を立ったのも事実であった。しかし、旅の終わりが近づいた頃に自分の大きな過ちに気が付いた。自分の物差しで他人を量ってはいけないのである。例えば20キロの荷物を背負ってコースタイムの半分時間で歩く人にしてみれば、10キロの荷物でコースタイム通りのでは歯痒く、ましてや空身で時間通りに歩けない人は論外と感じるであろう。しかし、この物差しは20キロで歩く人の尺度であり、空身で歩く人は別の物差しを持っているのである。大事なことは夫々の体力で頑張ることである。この旅の間をメンバーの方が、夫々が自分の出来る事に精一杯頑張っていた。自分の物差しで観ていた自分に恥じた。また一つ勉強させられた。---メンバーの皆さん本当にお世話になりました。ありがとうございました。
齋藤 陽
現地支払い以外経費
前 半 |
齋 藤 |
山 下 |
筑 田 |
妹 尾 |
加 藤 |
小 山 |
備 考 |
航空券 |
|
560 |
560 |
560 |
560 |
560 |
過入金返還 |
航空券振込料 |
525 |
|
|
|
|
|
2回の内1回分 |
テント移送料 |
1270 |
|
|
|
|
|
|
宿泊料 |
38000 |
|
|
|
|
|
カルガリーホテル |
国際免許 |
2650 |
2650 |
|
2650 |
2650 |
|
印紙代 |
海外旅行傷害保険 |
|
6910 |
|
6330 |
6910 |
|
レンタカー特約 |
レンタカー借受代 |
|
76000 |
|
|
|
|
ダラー社 |
コピー・郵送代 |
|
|
|
|
500 |
|
|
薬品代 |
|
|
3517 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
合 計 |
42445 |
86120 |
4077 |
9540 |
10620 |
560 |
合 計 153362 |
平 均−A |
25562 |
25560 |
25560 |
25560 |
25560 |
25560 |
|
差し引き |
-16883 |
-60560 |
21483 |
16020 |
14940 |
25000 |
|
後 半 |
齋 藤 |
山 下 |
筑 田 |
妹 尾 |
加 藤 |
小 山 |
備 考 |
テント予約電話料 |
|
|
|
1280 |
|
|
|
テント予約料 |
|
|
|
2973 |
|
|
|
レンタカー借受追加代 |
|
30791 |
|
|
|
|
運転者追加金額 |
ガソリン |
|
2109 |
|
|
|
|
|
ソーメン |
|
500 |
|
|
|
|
|
ホテル(アサバスカ) |
6212 |
|
|
|
|
|
|
モーテル(カルガリー) |
43099 |
|
|
|
|
|
|
最終日食事代 |
41792 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
(23678) |
|
|
|
合 計 |
91103 |
33400 |
0 |
4253 |
0 |
0 |
合 計 128756 |
平 均 |
21459 |
21459 |
21459 |
21459 |
21459 |
21459 |
|
最終日食事代 |
4561 |
4561 |
3627 |
2741 |
4561 |
3627 |
|
平均+食事代−B |
26020 |
26020 |
25086 |
24200 |
26020 |
25086 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
差し引き |
-65083 |
-7380 |
25086 |
-3731 |
26020 |
25086 |
|
航空券代 ノースウエスト航空 121,440円−C
個人費用総額
A+B+C+現地小遣いとお土産代=200,000円凸凹
約20万円で旅行が出来ました。